フィクション:あの日、民主主義は死んだ

エス・アイ・エム
代表コンサルタント(認定心理カウンセラー)
佐藤 義規

203X年の冬、東京の空は鈍い鉛色をしていた。

旧自衛隊は「国防軍」と名を変え、街には若い兵士たちの姿が以前よりも目につくようになった。 

「生活困窮者に軍勤務を事実上強制する制度だ」

そんな噂とともに広がった経済的徴兵制(※1)は、政府の華やかな宣伝とは裏腹に、人々の心から少しずつ余裕を奪っていった。

皇統もまた揺れていた。

国民に寄り添う姿勢で親しまれた今上徳仁陛下の突然の譲位。 国民の希望の象徴と呼ばれた愛子内親王の皇籍離脱。 そして悠仁帝の即位(※2)。

だが、多くの国民は薄々感じていた。

新帝は「日本国民の総意に基く」(※3)存在というより、政権党の意向を映す鏡として扱われているのではないか――と。

麻生家と縁の深い三笠宮家(※4)の養子が次期天皇になるという噂まで流れていた。

真偽は分からない。

だが、制度の透明性が失われた社会では、噂はしばしば事実以上の説得力を持つ。

情報環境もまた、長い年月をかけて静かに変質していた。

マイナンバー制度は国民管理の道具(※5)として機能し始め、政権に批判的な文化人が「脱税容疑」で逮捕されるたびに、人々は小声で囁き合った。

「データが改ざんされたらしい」

 「本当は無実なんだって」 

その声は、もはや都市伝説ではなく、街の空気そのものになっていた。

SNSでは、政権に批判的な野党議員や研究者を貶める政治的中傷動画が突然拡散し、後に専門家が「改ざんの痕跡がある」と指摘する例が増えた。 

国会で追及されても政府は「確認中」と繰り返すばかりで、情報捏造が判明しても訂正は紙面の片隅に押し込まれた。 

◇◇◇◇◇

その店は、十年前と同じ場所で、変わらず高架下の薄闇に沈んでいた。

煤けた提灯、色褪せた大谷翔平選手のポスター。

金曜日の夜だというのに、客はまばらで、店内には古い蛍光灯の低い唸りだけが漂っていた。

「まさかお前とまたここで飲むとはな」

十年ぶりに会った大学時代の友人・山口は、昔と変わらぬ調子でグラスを傾けた。

しかし、その目の奥には、かつてなかった疲労の影が沈んでいた。

「十年前なら、この時間は満席だったな」

私は店内を見回した。空席が、時代の空洞のように広がっていた。

「みんな生活が逼迫してるからな。ホント久しぶり。元気にしてたか?」 

 「まあね。仕事は相変わらずだけど……この国は、元気とは言えないよな」 

山口が揺らしたグラスの氷が、かすかに鳴った。その音が妙に胸に残った。

物価は上がり続け、増税も続く。

だが実質賃金は低迷したまま(※6)、新興国水準にまで落ち込んでいる。

若者の多くは「国防協力制度」の名のもと、軍関連企業や後方支援施設へ送り込まれるようになった。

政府は徴兵制ではないと言い張るが、進学支援や就職優遇と引き換えに軍事動員を求める仕組みは、誰の目にも経済的徴兵制そのものだった。

「うちの甥も行ったよ」

山口が焼酎を口に運んだ。

「ドローン整備工場だろ?」

「ああ。行かなきゃ奨学金の返済がきついって」

店の時計の秒針だけが、やけに大きく響いた。

「軍務の募集、俺の会社にも“協力要請”が来たよ。生活が逼迫してる若い社員を“紹介”しろってさ。断ったけど」 

「紹介しなかったらどうなるんだ?」

「税務調査が入ったよ。偶然だと信じたいけどな」

山口は苦く笑い、ため息をついた。

「この国、どこに向かってるんだろうな?」

私は答えられなかった。言葉にすれば、その言葉が現実を確定させてしまう気がした。

食料を国内でまともに賄えない国が、防衛費を増やしてドローンやシェルターを買い揃えたところで、遠からず飢えに直面するのは目に見えている。

太平洋戦争では、日本軍の戦死者230万人のうち約6割が餓死や病死だったという(※7)。

民間人犠牲者80万人のうち7割は原爆・空襲・沖縄戦によるものだが、もし1945年8月に降伏していなければ、その後何百万人もの国民が餓死していたという分析もある(※8)。

祖父が語った戦後の飢えの記憶。給食で争うように食べた鯨の竜田揚げの話。

あれらは遠い昔話ではなく、今の国の姿に重なって見えた。

「腹が減っては戦はできぬ」とはよく言ったものだ。

農業を守ることこそが究極の安全保障であり、どれほど優れた農産物を作っても、それを運ぶ人々の暮らしが守られなければ、国は一瞬で麻痺する。 

だがこの二十年、政権党から聞こえてきたのは、安全保障=国防=軍備・軍拡という単純な図式ばかりだった。 

もし、威勢のいい防衛論に踊らされず、地に足のついた政策――農業、物流、そしてそこに生きる人々の生活――を重んじる政治家がリーダーだったなら、未来は違っていたかもしれない。 

だが現実には、疑惑と虚偽にまみれた人物を「女性初」というイメージだけで支持してしまった国民の選択が、この国の現在を形作っている。 

中国との関係を悪化させ東アジア地域の緊張を高め(※9)、止まらない物価高の火種を作ったのもその「女性首相」だ。

御用マスコミは語らないが、原油不足(※10)というもう一つの要因も、この時代の失政によるものだ。

思えば、当時からすでにマスコミは権力迎合に傾き、国民に真実を伝えず、情報隠蔽が常態化していた(※11)。 

十年前、学生だった頃は、未来はもっと明るいものだと信じていた。

だが今は、街のどこかで常に誰かに見られているような、薄い膜のような息苦しさがある。

山口はグラスを飲み干し、わずかに笑った。

「でもさ、こうして昔の友達と飲んでると、まだ救われる気がするよ。

俺たち、まだ“普通の感覚”を失ってないんだって」

その言葉に、胸の奥がわずかに温まった。

だが同時に、その“普通の感覚”が、いずれ“普通ではなくなる”のではないかという予感が、静かに忍び寄った。

外では、軍の車列がゆっくりと通り過ぎていく。低いエンジン音が酒場の窓ガラスを震わせた。

◇◇◇◇◇

店の扉が開き、冷たい外気が流れ込んだ。

入ってきたのは、私と山口の共通の友人・今村だった。

大学時代は新聞部で、卒業後は地方紙の記者になったはずだ。

「遅れてごめん。駅前で検問に引っかかってさ」

席に着くなり、今村は肩をすくめた。

「またかよ。最近多いな」

「“国防軍協力拒否者の摘発強化”だってさ。笑えないよ」 

彼女は苦い表情でビールを注文した。その手首には、見慣れない黒いバンドが巻かれていた。

「それ……何?」

「ああ、これ? “国民識別バンド”。個人識別統制システムと連動してて、位置情報と健康データが常時監視されるの。記者は“安全確保のため”って着用が義務化された」 

山口が眉をひそめた。

「それ、ただの常時監視じゃないのか?」

「もちろん常時監視だよ。でも拒否したら“非協力的”って扱いになる。最近、拒否した同僚が“薬物所持”で逮捕されたの。証拠写真が出てきたけど……どう見ても不自然だった」 

今村は声を潜めた。

「ねえ……二人は覚えてる? 大学の頃、私たち、政治の話なんて自由にできてたよね。あの頃は、こんな国になるなんて思ってなかった」

十年前の記憶が、遠い夢のように揺らいだ。

「俺たち、未来はもっとマシになると思ってた」

「そうだったな」

あの頃は、誰もが少しだけ楽観的だった。

民主主義は不完全でも前に進むと信じていた。

社会は多様性を受け入れる方向へ向かうと信じていた。

十年前には、そんな希望がまだ確かに残っていた。

「……私たちは、どこで間違ってしまったのかな」

今村のつぶやきに、私も山口も、返す言葉を持たなかった。

< おしまい >

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こんな未来にならないことを強く願っています。

※1:経済的徴兵制:弁護士会の読書(福岡県弁護士会) https://www.fben.jp/bookcolumn/2016/05/13/4752/

※2:「愛子さまが天皇に」を議論せずまとめられた「立法府の総意」 「皇位は男系男子」ルール化されたのは近代(J-CASTニュース) https://www.j-cast.com/2026/06/15515606.html?p=all

※3︰日本国憲法の逐条解説(法学館憲法研究所) https://www.jicl.jp/chikujyokaisetsu.html

※4︰《皇室乗っ取りクーデター》麻生太郎氏 “養子案”主導に広がる反発…“天皇の外戚になる可能性”との指摘も(女性自身) https://jisin.jp/koushitsu/2587888/

なぜ「愛子天皇」を恐れるのか…"キングメーカー"麻生太郎氏が男系男子にこだわり続ける納得の理由(PRESIDENT) https://president.jp/articles/-/103412?page=2

※5︰国民監視の戦時国家作り マイナンバー制度で国が個人情報一手に握る(長周新聞) https://www.chosyu-journal.jp/shakai/802

※6:実質賃金4年連続マイナス、2025年1.3%減 賃上げが物価に及ばず(日本経済新聞) https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA064M70W6A200C2000000/

※7:日本軍兵士の「死に方」が悲しい…「無策の参謀」が引き起こした“生ける屍”になる病の正体(Diamond Online) https://diamond.jp/articles/-/37025

※8:THE STARVATION MYTH: THE U.S. BLOCKADE OF JAPAN IN WORLD WAR II(DOUGlAS L. BENDELL AWARD:CHRISTOPHER CLARY) https://journals.wichita.edu/index.php/ff/article/view/62/69

※9︰The Deepening Deterioration of Public Sentiment Between Japan and China(The Diplomat) https://thediplomat.com/2026/04/the-deepening-deterioration-of-public-sentiment-between-japan-and-china/

※10︰「物価高」「モノ不足」の無為無策! 石油・ナフサ危機は高市内閣の「人災」だ(サンデー毎日) https://mainichi.jp/sunday/articles/20260511/org/00m/040/001000c

※11︰日本のメディアの「構造的な病」とは?忖度が招くガバナンス崩壊、テレビ局のトップには「ネットに強い人」が必要だ(PRESIDENT) https://diamond.jp/articles/-/378299

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