二重国籍者と米国籍放棄の救済措置
CDH会計事務所
国際税務コンサルタント
ハラ 基江
近年、日本に住む「偶発的アメリカ人(Accidental Americans)」の間で、米国市民権放棄を検討する動きが広がっています。偶発的アメリカ人とは、たとえば日本人の両親のもとアメリカで生まれ、その後すぐ日本に帰国したため、自分が米国市民であることをあまり意識せずに成長してきた人々のことを指します。彼らはアメリカで生活した経験がないにもかかわらず、アメリカの税制上では「米国市民」として扱われ、税務申告や情報報告の義務を負っています。
アメリカ市民権と税務上の義務
米国の税制度は、「国籍に基づく課税(Citizenship-Based Taxation)」を採用しており、米国市民は居住地に関係なく、全世界の所得をIRS(米国内国歳入庁)に申告する義務があります。たとえ日本で暮らし日本で納税していても、米国籍を持つ限り、米国でも確定申告を行い、必要に応じて税金を納めなければなりません。
また、税金が発生しない場合でも、FBAR(外国口座報告)やFATCA(外国口座税務コンプライアンス法)に基づき、日本国内の銀行口座、証券口座、保険口座などの情報をIRSに報告する義務があります。これにより、日本国内でのNISA口座の開設や外国株取引などに制限がかかることもあり、金融取引の自由にも影響を及ぼします。
租税条約があっても複雑な現実
日米間には租税条約が結ばれており、外国税額控除などの制度を通じて、理論上は同一所得に対する二重課税は避けられる仕組みがあります。しかし、両国の申告方法や通貨単位、課税ルールが異なるため、実務上の負担は非常に大きく、専門知識が求められます。こうした税務の煩雑さに直面し、多くの偶発的アメリカ人が「米国籍の放棄(Expatriation)」を検討するようになりました。
救済手続き:Relief Procedures for Certain Former Citizens
しかし、米国市民権の放棄には通常、国外転出申告書の提出、過去5年間の確定申告、そして場合によっては「出国税(Exit Tax)」の支払いが必要です。この負担を軽減するため、IRSは2019年に「Relief Procedures for Certain Former Citizens(特定元米国市民向け救済措置)を導入しました。
この制度は、米国籍の放棄・離脱を希望するものの、これまでに米国での納税義務を履行してこなかった偶発的アメリカ人などに対し、“アムネスティ”の一環として過去の未申告や罰金からの免除を提供するものです。2025年現在、この救済制度を利用するためには、以下のすべての条件を満たす必要があります。
<救済措置の最新要件(2025年時点)>
2010年3月18日以降に米国市民権を放棄していること
米国市民または居住者としてForm 1040等の申告歴がないこと(Form 1040-NRは対象外)
国籍喪失日以前の 5 年間の平均純所得税額が、IRC 877(a)(2)(A)に規定されている基準額を超えていないこと(2024年度ベースで201,000ドル)
市民権喪失時および申告書提出時の純資産が2,000,000ドル未満
市民権離脱年度と過去5年の合計所得税額が25,000ドル以下(控除後ベース)
過去5年分+国籍離脱年度の6年分の必要なすべての申告書類を提出すること(例:Form 1040、Form 8938、FBAR(FinCEN 114)、Form 8854など)
全ての未申告が“非故意(non-willful)”であること
また、救済措置として提出する書類には、上部に赤インクで“Relief Procedures for Certain Former Citizens”と記載する必要があります。
<どんな人が対象になるのか?>
この制度の恩恵を受ける可能性があるのは、次のような方です:
日本人の両親のもと米国で出生し、すぐに帰国した
米国のパスポートを取得したこともなく、米国で働いた経験もない
米国での税務申告歴が全く無い
日本で普通に生活し、米国との接点が乏しい
いわゆる高額所得者や富裕層と呼ばれる資産保持者ではない
これらの条件を満たしていれば、「covered expatriate(対象離脱者)」とみなされることなく、市民権放棄に伴う税務的責任から解放される可能性があります。
おわりに:自分の未来を自分で選ぶ
偶発的アメリカ人であることは、自分で選んだものではありません。しかし、これからどの国で生き、どの制度の下で生活をしていくのかは、自らの意思で選ぶことができます。市民権の放棄は慎重な判断が必要なテーマですが、正しい知識と制度の理解によって、不安や明瞭さは確実に軽減されます。
米国市民権をもっていることが金融や税務にどのように影響を及ぼすのか、そしてそれをどう整理していくべきかーー。偶発的アメリカ人と呼ばれる人にとってまず大切なのは、「知らないままでいること」をやめ、正しい情報に基づいて行動を起こすことだと思います。
参考:
アメリカで生まれ幼少の頃に日本に戻った二重国籍者を指す「偶発的アメリカ人」とは
発的アメリカ人が米国籍を放棄離脱する場合の11の重要なステップ
U.S. Embassy & Consulates in Japan, LOSS OF U.S. CITIZENSHIP
Renunciation of U.S. Nationality Abroad
Relief procedures for certain former citizens
U.S. Citizens and Resident Aliens Abroad
Instructions for Form 8854 (2024)
U.S. Citizenship and Immigration Services
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